いのちの光 学園牧師のメッセージ

宗教センターニュース

2017/10/01
『隣人愛』

『隣人愛』

宗教センター長  池田 隆男

「イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』(マタイによる福音書 22章37~39節)」 

 

新約聖書のイエス・キリストのたとえ話の一つを紹介しましょう。

「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。 ある祭司(ユダヤ教で、神殿に奉仕して儀式をつかさどる者。)がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 同じように、レビ人(イエスの時代神殿で奉仕をする地位の高い人)もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 ところが、旅をしていたあるサマリア人(みんなから嫌われ差別をされている立場の人々)は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。 そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』

さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」(聖書ルカによる福音書10:30~37)

このイエスの例え話は大変有名な箇所です。最後のところで「行って、あなたも同じようにしなさい。」とイエスは律法学者に言われます。

サマリア人が行ったことは普通の人の考え方だと思います。しかし当時の地位の高い人々から尊敬される立場の祭司やレビ人は、強盗に襲われて苦しんでいる人を横目で見ながら気が付かなかったかのように、また係りたくないという思いで避けて立ち去りました。サマリア人にできたことが社会的地位の高い教養のある人に何故そのようなことができなかったのでしょうか。介抱するには時間もかかるし、被害にあった人は死んでしまうかもしれないという思いがあったのかも知れません。司祭やレビ人など身分の高い人たちは憐れみのない冷たい人たちということではありません。

私たちはいつも自分のことにだけを考えそのことだけが生活の中心になってしまいがちです。周りにはよく見るといろんな問題を抱えたり、弱さのために苦しんでいる人がたくさんいて助けを求めているのに、そのことに気が付かなかったり、気がついても言い訳をしてその場面から逃れようとします。自分が祭司やレビ人と同じような者であることを認めざるを得ません。イエス・キリストは「サマリア人のように行いなさい」、と言われます。たとえ話のサマリア人とレビ人や祭司がとった態度の間で自分の心が揺れ動きます。皆さんはどう思われるでしょうか。勇気をもって一歩前に進みたいものです。

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