いのちの光 学園牧師のメッセージ

メッセージ

2016/03/03
「自己統制力ある自由人の教育」

私たちの学園創立者が提唱した教育目標の一つに「自己統制力ある自由人教育」があります。

真の自由人とは、自己の内に生じる過度な欲望をほどよくコントロールできる人であり、「克己の力」を身につけている人です。何事にも束縛されるのを嫌い、自分のおもい通りに勝手気儘にすることは、自己中心な「放縦」ですが、創立者は、「真の自由人」について説いたと同時に「放縦」を厳しく生徒たちに戒めたようです。「自由が人を創る」という教えと共に、この「自由」は、まさに“両刃の剣”であることもしっかりと教えることは、今の時代にはとりわけ重要なことだと考えます。

渡辺和子先生随筆集『忘れかけていた大切なこと』に「自由」が私という人間を創るとありました。渡辺先生が「自由学園」勤務時代に教えられた事の一つだそうです。羽仁先生が生徒たちに「靴を脱ぎっぱなしにする自由」ではなく、「脱いだ靴をきちんと、そろえる自由」があると教えられたとのこと。それは、人間の自由の行為として自発的に行う行為です。強制され、規則だからするという次元のものではないということです。その人の「自由の行為」として生活に根付いた自由。この自由が人を創って行くのだということです。自由の選択と行使が自分という人間を創り上げて行く。この深い自覚と意識が伴わなければ、確かに自由によって、人は、その人生を崇高なものにも低俗なものにもしてしまうことを忘れてはならないと考えます。

「・・する自由」と「・・しない自由」。自分が欲しいものを手に入れる自由。あえてその欲望を抑制する自由もある。生きるために必要以上のものを持たない自由もある。自由の行使、用い方が自分の人格を形成すると考えれば、恐ろしいことです。今は、個人の自由や権利が保障され、社会全体が個々人の自由や権利について敏感に反応する時代ですが、身勝手な思いや振る舞いによって他人さまに迷惑をかける事が氾濫している時代でもあります。だからこそ社会的「責任」と「義務」もしっかりと教えなければ平和で安心できる社会は創れません。「自由」の尊さや「社会的責任と義務」を社会人になる前にしっかりと教育する必要があります。社会人になることは、自分に与えられている才能、賜物、時間を自分の幸せのためにだけ用いるのではなく、自分以外の人の幸せのためにも社会のためにも用いさせていただくことなのですから。

「自己統制力ある自由人の教育」が豊かな果実を得るためには、学園訓「地の塩・世の光」の教えを徹底して行かなければと考えます。この学園訓は、子どもたちに語り、教えるのではなく、教職員がまず、「地の塩・世の光」を自らの生き方として子どもたちに模範を示すためにあります。私たち大人が生活化することです。今年度の学園の祈り「神さま、私をあなたの平和の道具としてお使いください。慰められるよりは慰めることを、理解されるよりは理解することを、愛されるよりは愛することを私が求めますように」(アッシジの聖フランシスコの祈りより)も同じです。教育のすべての課題は、教えるためにあるのではなく、まず、私たち大人に与えられている日常の課題であるということです。私たち教職員がお互いに「靴を脱ぎっぱなしにする」自由ではなく、「きちんと、そろえる」自由を身につければ、私たちの学園は、いっそう輝きが増し加わるに違いありません。

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