いのちの光 学園牧師のメッセージ

メッセージ

2015/12/09
『クリスマスを祝う』

                         

その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」(ヨハネによる福音書1:9)

 

イエス・キリストのご降誕をお祝いするクリスマスを迎えようとしています。

学園では、過日、アドベント(待降節)礼拝を行い、クリスマスツリーに灯がともり、イエス・キリストのご降誕をお祝いする準備ができました。アドベントの時節は「なぜ、イエス・キリストがこの世にお生まれになったのか?」深く考えるときです。私たちの生活を振り返ってみますと、何事にも自分のことだけで多忙な生活を送っているのではないでしょうか。

自分の関心事や利益を最優先して、他の人々のことなどかまっている余裕がないという生活の実態かもしれません。すべての人がこのような生き方を続ければ、社会は渇いた砂漠のようになってしまいます。

ヨハネによる福音書は、イエス・キリストは“すべての人を照らすまことの光”であると記しています。世の暗闇を照らし、隠されているものを映し出し、私たちの目に見える形であらわにしてくれる「光」です。

マタイによる福音書では、イエスさまが “あなたがたは世の光である”と私たちに社会的使命を託してくださっていることが述べられています。 “あなたがたの光を人々の前に輝かせなさい。人々があなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである”。私たちにこの世の暗闇を照らし出す「光」であれと教えています。

今、あなたの内に宿っている「一本のろうそく」に灯を燈しましょう。あなたの「灯」が、くすぶることがないように、どのような小さなことからでも、自分のできることから社会のお役にたつ奉仕を始め、家族や友達、そして周りの人々に暖かさと優しさを分かち合い、意義あるクリスマスを迎えましょう。

「無財の七施」という教えを聞いたことがあると思います。何も持たずとも、他の人にすばらしいことができる教えです。お金やモノがなくても、地位がなくても、人として社会に優しさと暖かさをもたらすことのできる「無所有の豊かさ」の教えです。

人にやさしいまなざしをもって接すること、にこやかな微笑みをたたえ挨拶することや高齢者や支援を必要としている人々の手助けをすること、優しい心配りをして温かい言葉かけをすること、 自ら進んで人のお役に立つ小さな奉仕をすること、良きものを他者と分かち合う感謝の心です。

人間関係の豊かさは、モノ・お金の豊かさや所有物の多いことによるのではありません。日常生活の場で優しい心配りができる「私の心」、「私の思い」、「私の言葉」、「私の行動」から豊かさは生まれてくるものです。「私の心」のありようが世の暗闇を創りだすのか、世の幸せを創りだすのか、分かれ道になるのです。

世の暗闇とは、私たちの支援や助けを必要としている隣人がいるにもかかわらず、無関心で、見て見ぬふりをして通り過ぎる人たちが創りだす暗闇のことです。少しの分かち合いをためらい、自分のことばかりを優先し、自分の権利ばかりを主張して社会的責任や義務を果たそうとしない人々が世の暗闇を創り出すのです。

しかし、たとえそうであっても、あなたの内なる「一本のろうそくの灯」が灯されるならば、世の「一隅を照らす」光となるはずです。「世の光」としての使命を託されていることを喜び、感謝してクリスマスを迎えましょう。

イエス・キリストの誕生は、私たちが人を愛する豊かな恵みに目覚めるために与えてくださった神さまからの贈りものなのです。

 

“主よ、私をあなたの平和の道具としてお使い下さい。憎しみのあるとことに愛を、いさかいのあるところに赦しを、分裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに希望を、闇に光を、悲しみのあるところに喜びをもたらすものとして下さい。慰められるよりは、慰めることを、理解されるよりは、理解することを、愛されるよりは、愛することを、私が求めますように。私達は、与えるから受け、赦すから赦され、自分をすてて死に、永遠のいのちをいただくのですから。” (アッシジの聖フランシスコ「平和の祈り」)

 

 

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