いのちの光 学園牧師のメッセージ

メッセージ

2015/11/13
~『失敗者の自叙伝』に学ぶ~(16) 

隔ての壁を超える

ヴォーリズ先生の働きの印象深い事柄の一つに、人、生活習慣、文化などの違いに優劣をつけないことです。『近江兄弟社綱領』に、近江兄弟社の事業は、日本人と外国人の協力による働きと定義しているところからも明らかですが、人種的民族的な「隔ての壁」を取り除かねば、その働きに参画することが困難となる性質のものでありました。近江兄弟社の働きが日本人、韓国人、ベトナム人、アメリカ人など、多国籍の同志の協働事業であったことに大きな意味を見出します。当時の宣教師たちの中では、東洋の文化を正当に評価せず、より劣った文化と位置づけ、道徳的にも欧米人より低いゆえに教育をしてやらねばというような考えを持つ者がいたようですが、ヴォーリズ先生はこのような考えに義憤を覚え、その思いを強い言葉で表しています。「このような考えを持つような者は、宣教師などになるべきではない」と。

田舎の小さな地域社会に根をおろし、まずは、地域社会の人々の社会的必要性に応えつつ、目を世界に向け、自分たちの働きを詳細に世界に情報発信して、支援者や協働者を獲得して行く戦略は、近江八幡という地域社会を世界の人々に注目させることになりました。「地方創生」が国の主要な課題となっている今の時代を生きる私たちが学ばねばならないところです。

「かつて日本人心理なるものが存在すると思っていたことは、間違いであった。最初の数週間に、滋賀県の生徒に接して、すぐわかった。人種や国籍のちがいからくる習慣の相違はあっても、人間性そのものは、東洋と西洋の別がなく、地球上すべて共通である。・・・いわゆる典型的日本人だの典型的米国人だのというものは、ないということを私は断言したい。人間は、一個の人格を備えた個人なのであって、みな同じ家族の中の兄弟姉妹に他ならない」(P.179)

「宣教師が外国で伝道する場合、土地の協力者とあくまで平等の立場でなければならない。宣教運動とは、人種や年齢の差別なく、各自の才能に従って同等の責任と権威とをもってなされるべきものである。それだのに、単に、国籍や財力からくる権力によって、不平等であるということは、明らかにキリストの主義、精神を誤っているのではなかろうか」(P.180)

この言葉も、当時の宣教師たちの多くが東洋の宣教活動において東洋人を文化的にも倫理的にも西洋人よりも劣った民族と考えていたことに対するヴォーリズの憤りの言葉であり、そのような者は宣教師などになるべきではないとの憤りの言葉です。

ヴォーリズ先生にとって、キリストの教は、国家や民族を超越したものであり、欧米人だけに理解可能な教えではなく、普遍的な「宇宙の真理」としてとらえていたところによります。このような歴史的視点を背景にしているヴォーリズ学園の働きは、小さな地域社会に根をおろし、地域社会の発展に具体的な隣人愛の実践と奉仕を継続しながらも、同時に、グローバルな国際社会へ貢献する視点を欠いてはならない働きだと考えます。地域からより大きく広い世界へ拡がり、そして、より大きく広い世界からの視点をもって、より小さい地域の変革と発展に仕える働きをヴォーリズの精神の継承として理解したいものです。

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