いのちの光 学園牧師のメッセージ

メッセージ

2015/07/16
~『失敗者の自叙伝』に学ぶ~(13)

マイナスからの出発

1905年2月2日、八幡の町に降り立ったヴォーリズの日記から、彼がいかに心細く、孤独な心境にあったのか推察できます。2月2日の日記には、あの有名になった彼の言葉が記されています。『ホームシック。寒い。頭痛がする。寂しい。しかし、もう来てしまったのだ』

翌日、2月3日には、給料の中から60円前借をして、住居の家具代を払っています。すでに、デンバーから八幡までの旅費も借金をして来ているのです。異国の地での寒空の下、借金生活からの出発。これだけを考えても、実に精神的に鍛えられている24歳の青年であったと思うのです。神への信頼と神がこの地に遣わせてくださったという確固たる使命感がなければ、とても耐えられない状況下ではないかと思うのです。

来幡して二日目の2月4日には、ストーブのない学校で英語の授業を二時間持ち、放課後、来訪した学生たちとゲームを楽しみ、交流を深めています。2月5日の日曜日には、個人の家庭礼拝で宮本先生の通訳で約一時間も「愛と光」についてメッセージを伝え、午後も夜も学生たちの来訪を受け、交流を深めています。2月6日には、放課後、学生たちと散歩。神社の境内でテニスをして楽しく時を過ごす。2月7日にも放課後、学生たちとテニスをする。夜は15名の学生たちが来訪。2月8日、自宅にてバイブル・クラスを開催し、45名の学生が集い、そのうちの27名が英語新約聖書を希望したとあります。彼は、実に精力的な活動家です。

この最初のバイブル・クラスにおいて、会の組織化を実行して、会長、副会長、書記などを選んでいるところは、時宜を逃さず、身体を動かすことをいとわない活動家ヴォーリズの印象を強く受けます。驚くべきことに、八幡に赴任した年、1905年10月には滋賀県立商業学校の教員や学生とともにYMCAを発足させ、組織化をしている。青少年社会教育に情熱を燃やすこれら一連の活動を考えますと、理屈ぬきの活動家だと思います。学ぶべきところです。環境や条件が万全に整えられて初めて事が進み、実現するのではなく、マイナスからの出発を可能性の好機と捉え、自らの実験の環境も条件も整えて行く逞しい生き方には、どのような環境境遇にも適応し生きる力を発揮する青年ヴォーリズの姿が浮かび上がってきます。幼い時から、そのように学び、どのような環境にも適応して生きる力を身につけてきた学びの結実ではないでしょうか。

幼少の時からアリゾナの大自然の中での家族とのキャンプ生活をし、食べるものを自分で調達し、料理することを習得し、高校生の時にはアルバイトをして、自給自足の生活を心がけ、大学時代には、さらに多様な職種のアルバイトをしながら自活生活をして、自分で道を拓き、自分の道を創りだして行った彼の逞しい生き方は、異国の環境、未知の環境にもたくましく対処できる力となっていたと考えます。教育への使命観、情熱、即行動に移す実行力、「できないこと」の証明ではなく、「できること」を証明するためのチャレンジ精神、マイナスの環境にあっても自分の道を創り出して行く逞しい生き方には、無から有を生み出す神への揺るぎない信頼を感じ取れます。

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