いのちの光 学園牧師のメッセージ

メッセージ

2014/12/08
「一本のろうそくの灯」

「その光は、 まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」 (ヨハネによる福音書1:9)イエスさまの誕生について、聖書は、 「暗闇の中で輝いている光」、 「人間を照らすまことの光」」、 「すべての人を照らす光」 と記しています。 私たちが生きている社会は、 明るく温かい光が社会の隅々まで照り渡っているわけではありません。 人間の社会には、 暗い影が覆っている所が多いのです。 しかし、たとえこの世が暗闇に覆われていても  自分が一本のろうそくの灯となって 周りに明るさと温かさを与えるならば、暗い社会に「光」を与えます。

クリスマスは  一人ひとりが自分のろうそくに灯をともし  周りの人々に明るさを与え  温かさを与える時です。イエスさまは、「あなた方は世の光である。あなたがたの光を人々の前に輝かせなさい」と教えられました。 くすぶったロウソクの芯では、 光を輝かせることができません。 「くすぶった芯」とは、他人のことなんかどうでもいい、 自分さえよければよいという自己中心な考えをする人のロウソクの芯です。 周りに温かさや明るさ与えることのできないロウソクです。

光の下では暗闇に隠れていたものは、 すべて明らかにされて行きます。 その 「光」 は、 私たちが人を愛する 「愛」によって輝いてくるのです。 クリスマスは、私たちが自分の心を手入れするとき。私たちが心を深く豊かに耕し、しっとりと柔らかい心にして人に幸せを運ぶ種をまき、その実を家族や友だち、そして多くの人々に分かち合うときです。

心は 「蔵」 と言われます。 心の蔵に何を入れるのかによって私たちがその蔵から取り出してく るものが決まります。イエスさまの教えがあります。「木はそれぞれ、その結ぶ実によって分かる。善い人は良いものを入れた心の蔵 (倉) から良いものを出し、 悪い人は悪いものを入れた蔵 (倉) から悪いものを出す。 人の口は、 心からあふれ出ることを語るのである。」 (ルカによる福音書6章)。

心で思った通りのことが目に見える形で現れてきます。 人間の心は庭のよ うなものです。 手入れをしないと雑然としてきます。 いばらのようなトゲトゲしいものが心を覆い、やがて人を傷つけたり、害を与えたり、そして自分自身を不幸にしてしまいます。「心」は、可視化される「蔵」です。人々の眼に見えてくる蔵です。やがて言葉となり、行動となり、物事を視る目となり、人を視る視線となり、その人の考えとなり、その人の生活となり、その人の常識となり、習慣化され、その人が世界を見る目となって行きます。 もし心が耕されなければ、また良い種がまかれなければ、人の心をなごませるような美しい花は咲きません。一人ひとりが自分の心の蔵から人との関係において何を取り出してゆくのか、心から取り出すものがこの世を平和で温かい社会にするのか、 そうでない社会にするのか決めるのです。

私たちは、 毎日のように顔や身体の手入れを怠りません。 寒くなりますと、 唇の手入れも必要になってきます。カサカサになったり、ひび割れをしたり、手入れが必要です。心も自分のことばかり中心に考えていますと  干からびてきます。 心の手入れには  第一にお金がかからないのです。 自分を美しくするだけではなく、人をも幸せにする心のお化粧のようなものなのです。 もっと良いことは、使っても減らないこと。使えば使うほど、質がよくなること。それは、また、どこへでも持つて行けるのです。あなたが行くところ 必ず心も一緒にお供しているのです。争いの絶えない暗闇が世界を覆っています。
しかし  たとえそうであっても  私たちが人を愛し  一本のろうそくの灯をともせば  暗闇に一条の光を与えることができるはずです。このクリスマス、愛の種をたくさん蒔き、家族や友達、そして私たちが関わる多くの人々に幸せの実を運ぶことができれば、 すてきなクリスマスとなるに違いありません。
「あなたが兄弟姉妹にほほ笑みかけるとき、 あなたが手を差し出すとき、 そのたびにクリスマスはやって来るのです」 (マザーテレサ)

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