クラス通信

2016年度 | 3年

2016/06/08
【J31】 胸騒ぎのアイデアを生む

■J31 賛否両論 第17号 2016/06/08

また、わたしは顧みて知恵を、狂気と愚かさを見極めようとした。
王の後を継いだ人が既になされたことを繰り返すのみなら何になろうか。
わたしの見たところでは光が闇にまさるように、知恵は愚かさにまさる。
賢者の目はその頭に、愚者の歩みは闇に。
しかしわたしは知っている両者に同じことが起こるのだということを。
                     コヘレトの言葉 2:12-14

コヘレトはダビデ王を継ぐ者とされていますが、実在の人物ではないとされています。
聖徳太子が実在せず、律令国家設立にむけてのフラッグシップであったようなものです。
コヘレトに関しては諸説ありますが、ソロモン王が青年時代に愛の歌を歌った『雅歌』、壮年期に知恵の言葉をまとめた『箴言』、経験を重ねた晩年に至ってこの世のすべてを「虚しい」と断じたのが『コヘレトの言葉』であるとのこと。

みなさんは、この聖句をどのように感じましたか。
いずれ人には死が訪れる、過ぎ去る霧のようなもの…だから適当に生きますか?
私はこうあるべきだ、これが正しい道だと言われるよりも、この人間の虚しさ全開のコヘレトを読むたびに
だからこそ知恵のある道を、賢者になろうと努力する道を選ぼうと思うのです。こんな私は変なのでしょうか?

さてこのコヘレトの言葉から今回お話するのは、「既になされたことを繰り返すのみなら何になろうか。」の部分です。結果がある程度予想できた瞬間に私はやる気を急激に失います。もちろんやらなければならないことであればきちんとやり遂げますが。だって、ドキドキしないじゃないですか。圧勝するとわかっている試合をするのは虚しいものです。それよりか負けるだろうと思われている試合に万全の策を講じて臨み、その作戦がはまって勝ったとしたらどうですか?まさにジャイアントキリングです。たとえ結果勝てなかったとしても、その試合中に感じた勝利への期待や気持ちの高ぶりは何事にも代えがたいものになるはず。

Forbesという雑誌の中に次のようなことがありました。

遠慮を美徳とする日本人。「あえて否定」したり、
積み上げてきた議論を「ひっくり返す」ことをスルーしていないだろうか。
また、多数決をしてみたものの、みんな内心で決定に不安を感じていた、という経験、誰にだってあるはず。
根拠を探す前に、直観に頼った意見を出し合うような、
「胸騒ぎを起こす」プロセスが本当はかなり重要。
プロセスの模様替えが新たな想像を生み出す…と。

これから文化祭への準備が始まります。
伝統とは継続することではなく、創造し続けることだと思います。
先輩たちがこんな劇で優勝してきたから、こんな台本なら有利だ。この曲が声が出やすくて、ハーモニーがきれいに聞こえやすい。優勝を目指すならこうすべきだ。…という、まことしやかなうわさもあるようです。
しかし優勝するクラスは毎年あります。10年間では10のクラス、30年間では30のクラスが優勝しているわけです。そう考えると別段優勝が特別なものとは思えません。優勝する根拠を探していくプロセスに胸騒ぎはありますか?

そろそろ文化祭の準備が始まりますが、実際に動き出すのが9月から。
だから練習期間は短く、短期集中が勝負の分かれ目。
なのに全員が真面目に歌うのにどれだけの無駄な時間をついやすのか。
材料の準備はいつするのですか?セリフを覚えるのに必死で演技どころではないときもありますね。
その中で、ある程度完成するところまでこぎつけたところが評価される。
本番に間に合うだろうかというドキドキはあるかもしれませんが、私の考える胸騒ぎとは違います。

私は4年間しか兄弟社中学校の文化祭を経験していないので、それ以前のことはわかりません。
けれども本番一発勝負で決まる優勝に価値があるのではなく、どれだけドキドキワクワクしながら、
みんなでああでもないこうでもないと準備していくかが楽しいのだと思います。
せっかく6月から準備が始まるのに9月まで何もしないなんてもったいない。

3年生のみなさん。
いままでの2年間で当たり前と思っていたプロセスに疑問を持ってみませんか?
いままでにない万全の準備をしてみませんか?
いままでにないことに挑戦してみませんか?
いままでに成功した先輩たちの道と違う道を探してみませんか?
誰も成し遂げたことにないプロセスと努力で栄光を勝ち取ってみようじゃないですか。

『王の後を継いだ人が既になされた事を繰り返すのみなら何になろうか。』

君たち3年生が近江兄弟社中学校の文化祭の伝統を創造していくことに期待しています。
1.2年生の皆さん、団パフォ以上に頼りになる先輩達の姿に期待してください。

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