学園

いのちの光

2017/05/01
いのちの光 『地の塩・世の光―学園訓に学ぶ』

中学校宗教主任 大門 耕平 

「こみあった電車の座席に腰かけていたら、すぐ目の前に、杖をついた高齢者が押し出されてきた。そんなとき、あなたならどうするだろうか。いろいろと迷う心のどこかで、やはり席を譲らねばならないのでは、と考える人も多いであろう。こうした「ねばならない」という気持ちは、一般にどこから来るのか。自分の倫理観を見直してみるために、心の内に生じる道徳的な責務の由来を訪ねよう。」2008年センター試験「倫理」 「席を譲る」、あなたならどのような倫理観をもって席をゆずるでしょうか。 「譲らなかった時の自分への批判という苦痛を減らすため、みんなの幸福を実現するため」という理由が思い当たる人は「功利主義」という倫理観が根底にあると言えるかもしれません。 「自分の幸福ではなく、高齢者の苦痛を取り除くため、高齢者のため」という理由が思い当たる人の倫理観は、道徳的感情論に定義されます。 「理由ではなく、席をゆずることは当たり前のことであり、そうするべきである」という理由が思い当たる人は、定言命令法という倫理観を持つと言えるでしょう。 さて、あなたはどのような基準を持っているでしょうか。その時その時の気持ちや感情に従っていると答える人が多いかもしれません。しかし、自然の感情に従っている状態では、成熟した判断や行動をとることはできません。 ヴォーリズ学園の始まりは、放課後にヴォーリズ先生の家で開講されたバイブルクラスです。ヴォーリズ先生は自伝の中で、当時の学生の置かれている状況について次のように語っています。「私は、生徒たちから、直接彼らの生活の実態を聞いた。青年にありがちな、さまざまな誘惑が彼らを支配しているが、宗教的信仰や倫理的基礎による安全弁は皆無であった。」 ヴォーリズ学園の教育は、当時の学生に倫理観に植え付けること、宗教的規範意識を持たせることでした。そのために聖書、キリスト教がバイブルクラスで伝えられました。 気持ちや感情に従っての判断だけでは、正しさを見失うことがあります。また、一つの倫理に縛られていれば、心を失った行動に陥ります。これに抗うために、多くの学びを積み重ねていく。聖書、キリスト教が教える「生き方」、「倫理観」を知る。これが、ヴォーリズ学園が設立の時から大切にしてきていることです。 ヴォーリズ学園で学ぶ者として、ヴォーリズ学園の歴史を受け継ぐ者として、聖書、キリスト教に触れること、自分自身の考える幅を広げる学びを積み重ねていくという活動を続けていきましょう。まずは、自分の倫理観を見直してみるために、心の内に生じる道徳的な責務の由来を訪ねてみてください。

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