すべての子どもに
ヴォーリズ夫妻の
志とまなざしを

創立者 ウィリアム・メレル・ヴォーリズと一柳満喜子 夫妻
創立者 ウィリアム・メレル・ヴォーリズと一柳満喜子 夫妻

今から約100年前、元号が大正に変わり、自由や平等を求める声が世の中に高まり始めた頃の話です。
ヴォーリズ夫妻は日本の教育を、画一的なドイツ型のシステム※1から、もっと多様的な方法に変えて子どもの個性と才能を生み出そうと考えていました。例えば、清友園幼稚園※2には「等身大の積み木」部屋があり、子どもたちは時間を忘れて思いのままに積み木を組み立てることができました。それは、積み木を単なる「ままごと遊び」の道具ととらえるのではなく、「設計」の学び場であり、工夫を重ねて「技術」を習得する時間でもあると考えていたからです。
ヴォーリズ自身も幼年期にそのような環境を与えられており、遊びの中から建築への興味を深め、後に大建築家と呼ばれる人物となりました。
「メレルが最初に作った小さな二階建ハウスに猫を入れたら、猫は階段を使わず一気に飛び降りた」「小学生のときには近くの建築現場に入りびたり、階段の寸法が間違っていると指摘して、大工さんを驚かせた」など、満喜子夫人はヴォーリズについてよくお話をされていました。現代を生きる私たちも、のびやかで自由な空間・時間を子どもたちに届けていきたいと考えています。
ヴォーリズが組織したキリスト教伝道結社「近江ミッション」は、1917(大正6)年近隣の子どもたちのため、社の空き地にプレイグラウンド(遊び場)を設けました。そこでは、社員たちのボランティアによる本の読み聞かせや柔道指導などが行われており、100人以上の子どもたちが参加し瞳を輝かせていたそうです。
ヴォーリズとの結婚を機に満喜子夫人が園長となり、1922(大正11)年に清友園幼稚園を開設。1931(昭和6)年には、町のはずれに大きな土地と立派な園舎(現ハイド記念館・教育会館/登録文化財)を寄贈され、これが近江兄弟社学園(2015年にヴォーリズ学園と改名)の発展の基礎となりました。
ヴォーリズ夫妻をはじめ「近江の兄弟ら」が神のため、人のため、町のため、国のために、産業を興し、教育・福祉に尽くしたように、私たちも全力をあげて「子ども・子育て支援」に取り組んでいます。

  • こどもを一括して単一的に発達させようとする当時の方法
  • ヴォーリズ学園の前身
大きな積み木部屋
大きな積み木部屋
教育会館"
教育会館