受験生サイト
image

人間教育

聖書の言葉、キリスト教思想を知り、人間としての成熟を手に入れる

キリスト教・聖書・ヴォーリズ精神

ヴォーリズ学園の始まりは、ヴォーリズが近江八幡の自室を開放して始めたバイブルクラスとそこに集った生徒たちとの学びです。バイブルクラスは、聖書の学びを基礎として、「どのように生きるのか」「どのような倫理観をもつべきか」「社会に対して何ができるのか」ということを学ぶ場でした。近江兄弟社中学校は、創立以来、礼拝、聖書の授業、社会への奉仕の3つの柱で人間教育を進めてきました。ヴォーリズが作詞した本校の校歌には、「青年期の始まりをここ近江兄弟社中学校で過ごす中で、永遠の真理を身につけさせてください」という神への祈りが込められています。中学生としての時間、青年期の始まりを過ごす空間、多くの出会いと学びの中で、豊かな人間性、永遠の真理を育む時間を過ごしてください。

クリスマス礼拝イエスの誕生を学び・祝う業

近江兄弟社中学校のクリスマス礼拝は、12月にヴォーリズ平和礼拝堂で行います。2部構成になっており、午前はページェント、午後は賛美礼拝という形で礼拝を守ります。ページェントは、イエス・キリストの降誕物語を舞台で作り上げるものであり、100名を超える生徒が6つの役割を担い、一つの舞台を創り上げます。賛美礼拝では、クリスマスメッセージと全校生徒によるハレルヤ合唱の賛美でクリスマスを祝います。

イメージ
ページェント

聖書週に1回、聖書の授業

週に1回、聖書の授業があります。聖書という古典に触れ、信仰の対象としての聖書という理解だけではなく、西洋文化・芸術の根底となる聖書、思想や倫理観の基礎となった聖書など、様々な観点で聖書という書物を読み込んでいきます。3年生では、卒業レポートとして、テーマを設定し、聖書の言葉を参考として、自らの考えを2000字程度のレポートにまとめ、発表する機会を持ちます。

イメージ

地の塩・世の光ヴォーリズの志に学ぶ

近江兄弟社中学校での学びは、机上での学びだけとは限りません。学校行事や生徒会活動に加え、ボランティア活動を準備しています。実際に社会に出て、自らに与えられている賜物を生かす機会が地の塩・世の光の活動です。地域や社会に貢献する志をもって活動したヴォーリズの意志を受け継ぎ、自らの能力や賜物を他者のために用いる生き方を模索します。

あいりん地区での炊き出しあいりん地区での炊き出し

礼拝学びの基盤となる時間

近江兄弟社中学校での生活は毎朝の礼拝から始まります。生徒たちは、礼拝の中で自らの考えを語る機会を持ちます。自ら語る機会、同級生や先輩の語る言葉を聞く機会は、将来のための学びの意義を発見する機会であり、中学校でのすべての学びの基盤となる時間が日々の礼拝です。

クラス礼拝

卒業レポート

人間R.T(2018年度卒業 金田小学校出身)

『カラフル』 森絵都
コヘレトの言葉 4章9節-12「 ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。」
Abstract( 200ワード)
The theme I chose is "human." I thought that human should support each other. I think human beings have the power to make people happy.
キーワード : きれいな色、きたない色、人間が持つ力

1.【問題と目的】

不思議なことがあった。
ある日、友人が突然私に、「ときどきイライラして、人に八つ当たりしてしまうときがある。そんな自分が嫌だ。」と言ってきた。私は、彼女がなぜこんなことを言ったのか、わからなかった。自分の嫌な一面は、隠しておきたいと思うものなのに、どうして私に言ってくれたのだろうか。

2.【方法】

1.『カラフル』森絵都
2.コヘレトの言葉 4章9節-12

3.【結果】

1.『カラフル』森絵都
私が今回読んだ『カラフル』は、絵を描くことが得意な少年が主人公になっている。人生に悲観した少年は自殺を図るが、転生のチャンスを得て、下界で挑戦する権利が与えられる。日々の暮らしを送る中で、自分を取り巻くすべての人々の欠点と美点が見えるようになる。
私たちは美術の時間で、絵の具を使うことがある。絵の具の蓋をあけると、色とりどりの絵の具のチューブが並んでいる。一つの作品には、何色もの色が使われていることだろう。人間も「色」を持っている。「色」は多種多様で、人によって変わってくる。そして、人間の「色」には二種類ある。表向きの色、普段周りの人に見せている「きれいな色」と、自分にとって不都合な色、誰かに意地悪してやりたいと感じる「きたない色」に分けられる。私たちは「きたない色」を隠して生きている。
しかし、人間というものは恐ろしい。簡単に人を裏切ったり、だましたり、嘘をついたりする。欲に忠実になって、他人を傷つけてしまうときもある。それは、「きれいな色」と「きたない色」を持つ人間において起こりうることだ。常に「きれいな色」であり続けることはできない。同時に、人間はとても弱い。孤独を嫌い、孤立しないように自分の考えすら変えてしまうこともある。ひとり分の力だけでは微力だ。大勢の力が集まることで強くなる。強くなるだけではない。困ったときに助けてくれる。自分の弱さを補ってくれる。

2.コヘレトの言葉 4章9節-12
私は、『ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。』という聖書の箇所を選んだ。私はこれを、『ひとりで頑張るよりも、ふたりで頑張るほうが良い結果が生まれる。』と解釈した。これは、私の今回のテーマにふさわしい。ひとりの人間を、一本の糸として考えてみる。一本の糸だけでは切れてしまう。三つよりの糸は切れにくい。一人で戦うよりも、二人で戦ったほうが強い。一人では温まることができない。悲しいときや苦しいとき、心の支えとなってほしい人がきっといる。この聖書の箇所は、人間の弱さを示していると同時に、支え合うことの大切さを教えてくれている気がする。一人で過ごすことのほうが好きな人もいることだろう。だが、人が存在している限り、誰かに支えられている。両親だけでなく、食べ物を作ってくれる人など、見えないところで支えてくれる人がいる。
自分のきたない色しか目につかず、自分で自分のことが嫌いだと思う人もいることだろう。しかし、家族や友達や恋人は、自分が思ってもいないきれいな色を見つけているときがある。そして、相手のきれいな色に支えてもらいたいと感じることがある。自分自身のことが嫌いでも、自分にしか持っていないきれいな色が、誰かを幸せにしている。

イメージ

4.【考察】

話を戻そう。自分の嫌な「色」は、隠しておきたいものなのに、友人はなぜ私に言ってくれたのだろうか。考えた結果、彼女は私に支えてほしいと、そばにいてほしいと感じたのではないかと思った。
もちろん私もイライラすることがある。常にきれいな色で染まっているわけではない。しかし、彼女は私のきれいな色に支えてもらいたいと感じた。本当に人間は二種類の色を持っているのだ。きたない色が私をイライラさせているけれど、きれいな色が誰かを支えたり、幸せにしていたりしている。だから、きたない色を持つ自分を嫌う必要はない。人間は完璧ではないけれど、永遠に衰えることのない、強い力を必ず持っている。それは、誰かを幸せにする力である。自分の色を見失い、自分自身に自信がなくなったとき、自分の持っている力を思い出してほしい。
そして、もう一つ忘れないでほしいものがある。幸せは返そう。そうすれば、また幸せになれる。言われて嫌な気持ちにならない言葉がある。
『ありがとう』

【参考文献】森絵都(2007/9/10)『カラフル』文藝春秋
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
コヘレトの言葉4章9節~12節

ページトップへ
ページトップへ